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広島高等裁判所 昭和55年(う)33号 判決 1980年10月28日

主文

原判決中被告人坂井正夫、同白木末夫及び同田中正彦に関する部分を破棄する。

被告人坂井正夫及び同白木末夫をそれぞれ懲役八月に、同田中正彦を罰金一万円に各処する。

被告人坂井正夫及び同白木末夫に対し、この裁判確定の日からいずれも四年間右各刑の執行を猶予する。

被告人田中正彦において、右罰金を完納することができないときは、金二阡円を一日に換算した期間、同被告人を労役場に留置する。

被告人田中正彦から金六阡円を追徴する。

被告人田中正彦に対し、公職選挙法二五二条一項の選挙権及び被選挙権を有しない期間を三年に短縮する。

原審における訴訟費用は被告人坂井正夫及び同白木末夫の連帯負担とする。

被告人白本龍、同中村恒三、同松井巌、同角貞雄、同南部正已、同竹中薫、同行宗虎三及び同山本光雄の各控訴をいずれも棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は、弁護人丸茂忍、同福永宏及び同関元隆各作成名義の各控訴趣意書(全被告人関係)並びに検察官上野治作成名義(同立山正秋提出)の控訴趣意書(被告人坂井及び白木関係)に記載されたとおりであり、各弁護人の控訴趣意に対する答弁は検察官立山正秋作成名義の答弁書に記載されたとおりであるから、ここにこれらを引用する。

一原審の訴訟手続について。

各控訴趣意に対する判断に先立ち、職権をもつて記録を調査するに、原審の第一一回公判期日(昭和五二年(わ)第一二号等)における訴訟手続を記載した公判調書(記録四〇丁)には、裁判官の認印はあるものの、作成者である裁判所書記官の署名も押印も全く存在しないことが明らかである。そこで、原審の訴訟手続の適法性につき検討する必要があるが、このように作成権限者たる立会書記官の署名、押印をともに欠いた公判調書は、刑事訴訟規則四六条一項所定の方式に明らかに違反するものであつて、無効というほかないから、右公判調書によつて右期日における訴訟手続の適法性を証明することができないことは多言を要しないところである。しかしながら、公判調書に絶対的な証明力を認めた刑事訴訟法五二条は、右公判調書が有効であることを前提とするものと解されるから、公判調書が無効である場合には、公判調書が滅失した場合と同様に、他の資料によつて、当該公判期日における訴訟手続の適法性を証明することが許されるものと解するのが相当であつて、訴訟経済にも合致するものである。当裁判所はかかる見解に基づき、右公判期日に立ち会つたと思料される野田利信を証人として取り調べたのであるが、その結果、昭和五三年三月一四日に第一一回公判期日が開かれ、右期日には裁判所書記官として野田利信が立ち会つたこと、右期日の公判調書を作成すべき野田利信は、裁判所の調書用紙に所定の事項を記載し、作成年月日まで記載したところで余白がなくなつたため、継続用紙に庁名を記載し、作成者として自己の署名、押印を行なつたうえで二枚の用紙を綴つて契印すべきところ、署名、押印等を忘れたか、これを行なつたにも拘らず用紙を綴るのを失念したものであること、右公判期日における訴訟手続は右公判調書用紙に記載のとおり、全て適法に行なわれていて、四名の被告人が全員出頭し、検察官及び弁護人(三名)が立ち会つたうえで、昭和五三年二月二七日付準備手続調書の朗読がなされ、証人として米田勇が取り調べられたほか、次回公判期日として同年五月一六日午前一〇時が指定され、更に、当日出頭していた証人岩見屋洋に対しても改めて右次回期日に出頭すべき旨が命じられていて、公判手続の継続性にも欠けるところがないこと、がそれぞれ認められるに至つた。しかも、本件は、被告人一一名、公判回数二四回、記録一九冊、五九八七丁の公職選挙法違反被告事件であるが、記録上明らかなように、原判決は右一一回公判期日において証拠調べの結果を原判示事実の認定の証拠として挙示していないものである。叙上の事実関係によれば、本件においては、原審第一一回公判期日の公判調書が無効であることは明らかであるが、これをもつて判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反ということはできないものと解するのが相当である。

二各弁護人の控訴趣意(事実誤認とこれに基づく法令適用の誤りの主張)について。

論旨は、いずれも要するに、「原判決は、本件における被告人坂井らの後援会会員募集等の所為は、違法な事前選挙運動であり、その際授受された現金は原判示総選挙における重宗昌幸の当選を目的とした投票並びにそのとりまとめ等の選挙運動の報酬であつた旨認定し、被告人坂井らの右所為に対して、事前運動の罪(公職選挙法二三九条一号、一二九条違反)及び買収の罪(同法二二一条一項一号違反)の成立を肯定し、更に、被告人松井らの現金を受取つた所為に対して被買収の罪(同法二二一条一項四号違反)の成立を認めているが、右は全て誤りであつて、被告人坂井らの本件所為は重宗昌幸後援会の政治活動であり、授受された現金は右後援会の新会員募集のための労務賃(足代)である。仮に、右主張事実が認められないとしても、被告人らは本件所為が後援会活動として許されるものと確信していたのであり、右確信には相当な理由があつたのであるから、被告人らには犯罪の故意がなかつたものというべきである。したがつて、いずれにせよ、被告人らは無罪であつて、原判決は事実を誤認し、ひいては法令の適用をも誤つたものというべく、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから破棄を免れない。」というにある。

しかし、原判決挙示の証拠を総合すれば、原判示各事実はいずれも優に認められ、被告人らの事前運動、現金供与及び受供与の事実は否定できないところであるうえ、原審及び当審取調べの証拠を検討しても、被告人らに右犯罪の故意がなかつたものとも、相当の理由をもつて違法性の認識を欠いたものとも認められず、原判決に所論の事実誤認やこれに基づく法令適用の誤りは発見できない。すなわち、本件において、重宗昌幸後援会会長の被告人坂井や同後援会会計責任者の被告人白木が同後援会常任理事の伊達本衛らと相談のうえ、原判示各日時場所において(ただし、その一部に誤認があることは後記のとおりである。)、原判示総選挙の山口県第二区の選挙人である被告人松井らに対し、原判示金額の現金を渡し、同被告人らがこれを受取つたことは、原判決の挙示する関係証拠上明らかなところ、さらに右関係証拠によれば、右後援会設立の経緯や各現金授受の趣旨等について、次の各事実が認められる。すなわち、(1)昭和五一年一二月五日施行の第三四回衆議院議員総選挙に際し、山口県第二区からは、当初、元同県知事橋本正之の立候補が予定されていたが、同人が病気のためにこれを断念したことから、同年七月、自由民主党関係者らの間に元衆議院議長重宗雄三の長男重宗昌幸(以下、単に重宗という。)を立候補させる動きが生じ、重宗本人もこれに応じて立候補を決意し、同月二四日自由民主党に入党し、翌二五日同党に公認申請の手続をとつたうえ、同年八月上旬ころ、被告人坂井に対し立候補の意思を伝えて支援方を要請したこと、(2)被告人坂井は、かねて重宗雄三に多大の恩義を感じていたので、重宗昌幸を支援することとしたが、同人はこれまで東京暮しが長かつたため選挙民に知名度が低く、しかも、総選挙の公示、施行期日は未定とはいえ、議員の任期満了を同年一二月にひかえて他の立候補予定者の選挙準備がかなり進んでおり、重宗は出遅れの感が強かつたことから、早急に多数の有権者に働きかける必要があると考え、岩国市内に後援会事務所を定め、前年まで被告人坂井の下で働いていた被告人白木に事務長を依頼したうえ、地元有志とも相談しながら後援会の結成を準備したこと、(3)八月九日ころ、被告人坂井、同白木のほか重宗の主な支援者一〇人位が集まつて後援会の発起人会を開き、その際、被告人坂井から重宗が立候補する旨を伝えて協力方を要請したうえ、同被告人が後援会の会長に、被告人白木が同会の事務長(会計責任者)に就任し、その他副会長、常任理事、顧問などの役員を選任し、その後、同月二五日ころまでに数回役員会を開き、後援会趣意書(パンフレット)や後援会入会申込書の作成、配付方法等についても協議したが、後援会趣意書と同入会申込書は同月内に各二万部を印刷し(うち各一万部が同月末までに出来上つた。)、さらにその後一一月までに各約八万部を追加印刷して、これを岩国市やその周辺を中心とする選挙区内に配付したこと、(4)八月中旬ころに開かれた役員会において、「重宗を当選させるためには出来るだけ早く多数の有権者に対し後援会への加入を働きかける必要があり、そのためには重宗の積極的支持者や役員の知人、友人らに依頼して後援会趣意書等を多方面にくばつてもらうのがよい。」、「趣意書等をくばつて会員を募集してくれる人に対しては、労務賃とか日当とかいつた性質の現金を支給するのが効果的である。」、「現金を支給すると選挙違反になる虞れがある。」などの意見が出され、被告人白木が現金支給の可否等について調べることになつたが、その後、同月二五日ころに開かれた役員会において、同被告人から、「選挙管理委員会に照会したところ、労務賃は一人一日につき三阡円までなら支給できる、と言つていた。」旨の説明がなされたので、被告人坂井らはこれに従うこととし、後援会趣意書等を渡して新会員の募集を依頼した場合、その人には労務賃として現金三阡円を支給することと決めたこと、(5)右決定に基づき、被告人白木らにおいて現金三阡円ずつを封筒に入れて準備したうえ、九月一日以降一一月一〇日ころまで、後援会の役員その他重宗の有力支持者において、旧重宗雄三後援会の会員や重宗後援会設立総会に参集した選挙人のほか、各自の親戚、友人、知人、隣近所の人など、不特定多数の選挙人に対して、後援会趣意書等を渡して新会員の募集を依頼する旨の言葉とともに、封筒入りの現金阡円(原則)を渡したこと、(6)被告人坂井、同白木らはもとより、これを受け取つた者においても、右現金の授受が法律に触れる違法なものかどうかの点は別として、これが間近に迫つた総選挙における重宗への投票、更にはそのとりまとめ等の選挙運動に対する報酬等の趣旨のものであることは十分に認識していたこと、(7)重宗後援会は一一月一五日の公示後その活動を停止したが、被告人坂井は立候補した重宗のため、その選挙の総括責任者になつたこと、以上(1)ないし(7)の各事実が認められ、被告人坂井、白木らの原審及び当審における供述等のうち、これと相容れない部分はいずれも措信できない。これに対して、まず、福永、関元両弁護人の所論は、原判決挙示の被告人らの検察官に対する各供述調書の自白部分の信用性を争い、理詰めの誘導的質問によるものであり、前後に矛盾する点もあるから措信されるべきでない、というのであるが、右各供述調書の内容を仔細に吟味し、各被告人の原審公判廷における供述や取調べに立会つた検察事務官の証言等と対比しながら検討してみても、各供述調書の内容に所論のような矛盾などは見出せず、これらの供述調書は全体として十分信用できるものと認められるから、原判決がこれらを措信したことに誤りはない。また、関元弁護人の所論中には、前示(1)及び(2)の後援会設立の趣旨等に関し、昭和五一年七月ないし九月当時、重宗はまだ原判示総選挙への立候補を決意していたものではなく、被告人坂井らにおいても右選挙を目指して重宗後援会を設立したわけではないのであつて、岩国市長選、参議院議員選等も考え、重宗の将来の政治家としての活動を支援等する目的で右後援会を設立したのである、との主張が存する。しかし、本件において重宗後援会設立の趣旨ないし目的が、年内必至とされていた衆議院議員総選挙に際し山口県第二区から立候補する意思を表明した重宗を支援し、同人の地元における知名度を高め、ひいては同人の右選挙における当選をはかることにあつたと認められることは、前示(2)及び(3)のとおりであつて、このことは、関係証拠によつて認められる被告人坂井や同県議会議員村岡秋生らの後援会発起人会等における挨拶にも現われているところであるし、重宗の自由民主党入党、公認申請、後援会発起人会、設立総会等の時間的経緯をみるだけでも明らかであるといわなければならない。この点の主張には理由がない。

そして、前示(1)ないし(7)の事実関係によれば、被告人坂井、同白木らが相談のうえで行つた重宗後援会の趣意書、入会申込書の配付依頼とその際における一人当り三阡円(原則)の現金交付の所為は、後援会会員の募集依頼とそのための労務賃の支給という形式をとつているものの、その実態において、不特定多数の選挙人に対する、年内施行が確実視されている総選挙に立候補を予定している重宗への支持の働きかけ、同人への投票とその取りまとめ等の選挙運動の依頼であり、これに対する報酬の供与であつたと認めるほかなく、各被告人らもこの点についての事実認識は十分にあつたものと認められるから、これが事前運動、現金買収及び被買収に該ることは否定できないところといわなければならない。

各所論は、被告人坂井らの本件所為は後援会として許された政治活動であり、一人当り三阡円の現金は後援会の新会員募集のための労務賃である、というけれども、形式は別として、前説示のようなその実態に注目する限り、各所論にはたやすく左袒できない。関元弁護人は、本件では一人に対して三〇部の後援会趣意書等をくばり、一五〇人の新会員の募集を依頼しているのであり、これに要する交通・通信等の費用を考えれば、三阡円という現金は必要最低限の実費(足代、労務費)というべきであつて、報酬の趣旨が含まれていないことは明らかである、と主張するのであるが、前示(5)のとおり、後援会の趣意書、入会申込書(必ずしも、所論のように一人に三〇部ずつであつたとは認められない。)と現金の入つた封筒は、不特定、多数の選挙人にくばられていて、その際右現金の使途の指定もなく、又、事後の精算も全く行なわれていないことが認められるから、実費補填の面が全くなかつたとまではいえないとしても、右現金に報酬の趣旨が含まれていたことは到底否定できない。その他、同弁護人は本件現金が後援会の公金から支出されていることや領収証を徴していることを指摘し、これらの事実は被告人らの本件所為が後援会活動であることの証左である、と主張するけれども、すでに説示したとおり、本件は後援会活動という形式でなされた選挙運動と認められる事案であるから、所論指摘事実をもつて、前示結論を否定することはできない。

さらに、各所論は、「政治家の支持者が行う後援会等の政治活動は、多かれ少なかれ、選挙に際して当該政治家の当選に有利に作用するものであり、又、その当選を究極的な目的とするものであるところ、公職選挙法はこのような後援会等の政治活動を公示前に限り自由なものと認めているのであるから(同法二〇一条の五参照。)、原判決が、被告人坂井らの後援会員募集等の行為につき、これが『候補者の当選を得るにつき必然的に有利な行為』であることを理由として、事前の選挙運動に該当するとしているのは、誤りである。被告人坂井らは後援会会員の募集を依頼し、その労務賃として現金を支払つたが、その際相手方に対して、重宗への投票あるいはそのとりまとめ等の選挙運動を依頼する発言を全く行つていないのであるから、右所為は法律上許された後援会の政治活動に属するものというべきである。」というのである。なるほど、公示前は自由なものとされている後援会の政治活動の中には、特定の政治家の選挙における当選を究極的な目的とするものが存在し、このような政治活動と公示前には禁止されている選挙運動とを区別することは、抽象的に考察する限り、必ずしも容易であるとはいえない。しかしながら、本件において、重宗後援会は、前示(1)及び(2)のとおり、衆議院議員総選挙という特定の選挙が至近の期間内に施行されるものとほぼ確定的に予想される時期に、右選挙に立候補する意思を表明した重宗を支援すべく被告人坂井らによつて発起され、設立されたものであつて(尤もこのような後援会設立のための行為が、重宗を主体的に支持している被告人坂井らのみによつてなされている限り、これを違法視すべき謂れはない。)、右のような時期に、不特定多数の有権者に対してかかる後援会への加入を勧誘する行為(会員募集の行為)は、原判決も説示する如く、「(重宗という)特定人の当選を得るにつき必然的に有利な行為」というべきであり、これが選挙の公正を実質的に害するものであることは否めないから、違法な事前の選挙運動に該るものと認めるのが相当である。現金の授受に際して、具体的に重宗への投票等依頼の発言がなされていないとしても、前示(6)のとおり、右趣旨は現金授受の当事者に十分認識されていたと認められるのであるから、この点は前記結論に影響を与えるものではない。なお、福永弁護人の所論の中には、被告人坂井らは、後援会事務所と選挙事務所とを別々に設け、又、被告人白木らにおいて公示後の選挙運動に不関与の態度をとるなど後援会活動と選挙運動とを意識的に区別して行動していたものであつて、このような被告人らが正当な後援会活動と認識して本件所為に及んだのであるから、本件所為には事前運動として問責されるべき違法性はない、との趣旨の主張も存する。しかし、被告人坂井らが後援会活動と選挙運動とを形式的に区別していたことは所論のとおりとしても(なお、被告人坂井が重宗の選挙に際し、総括責任者となつたことは前示(7)のとおりである。)、他面において、すでに説示したように、被告人坂井らは本件所為の実態について十分認識していたと認められるのであり、又、本件所為は選挙の公正を実質的に害するものと認められるのであるから、この点の所論は到底採るを得ない。

その他各所論にかんがみ、関係証拠を検討して再考してみても、被告人坂井らの本件所為を事前運動と現金供与、被告人坂井らの所為を現金受供与と認定した点において原判決に誤りはないものと認められる。

次に、各所論は、仮に、被告人坂井らの本件所為が事前運動に該当し、現金が選挙運動の報酬の趣旨で授受されたものと認められたとしても、被告人坂井らは、予め岩国市選挙管理委員会に照会して労務賃として三阡円を支給することは選挙違反にならない旨の回答を得、これに従い、本件所為が適法であると信じてこれに及んだものであるから、違法性の認識がなく、そのことに相当な理由があつた場合であつて、犯罪の故意が阻却されることは明らかである、というのである。

よつて、原審及び当審取調べの関係証拠を検討すると、本件において、昭和五一年八月中旬ころに開かれた重宗後援会役員会で、後援会趣意書等を配付して後援会員を募集してもらう人に日当を支払うのがよいなどの意見が出され、その後、同月二五日ころの役員会で、被告人白木から岩国選挙管理委員会(以下、市選管という。)の見解が報告されたので、被告人坂井らもこれに従い、後援会趣意書等を渡して新会員の募集を依頼する際には、その人に労務賃として三阡円の現金を支給することとしたものであることは、前示(4)のとおりであり、又、被告人白木が右報告に先立ち、市選管に対して、後援会からの労務賃の支払いについて照会し、市選管がこれに回答したこと及び被告人白木らが同松井らに後援会趣意書等と現金(封筒入り)を渡す際、質問に答えるなどの形で、「選管が認めている労務賃だから選挙違反にはならない。」旨の説明をしたことも証拠上否定できないところであるが、かかる事実関係が存在することをもつて被告人らが本件所為につき違法性の認識を欠き、かつ、そのことに相当な理由があつたものということはできず、被告人らの犯行に故意若しくは責任が阻却される場合とは認められない。所論にかんがみ、若干補足して説明すると、

(イ)まず、被告人白木が後援会からの労務賃の支給等に関して市選管に照会をなし、その回答を得た事実があつたかどうかについては、検察官の指摘するとおり、市選管の事務局関係者がいずれもこれを否定していて、捜査段階以来被告人白木の供述とくいちがつているのであるが、両当事者の各供述内容を対比し、さらに被告人坂井らの関係供述部分とも比照してみると、市選管の事務局関係者の供述はそのままには措信し難く、被告人白木が前示照会をして、その回答を得た事実は証拠上否定できないものというべきである。

(ロ)次に、右照会と回答の内容を調査すべきところ、この点に関する被告人白木の供述を仔細に吟味すると、曖昧な点も少なくなく、電話による照会であり、これに即答されたものであることは間違いないとして、その具体的日時や相手方も明確ではないが、要するに、同被告人の捜査官に対する供述に現われているように、「後援会のパンフレットをくばつて会員を募集するが、それについて人に頼んだ場合、足代というか仕事をやつてもらつた人に労務賃を出したいが、どうか。一人三阡円位だが。」との質問をなし、相手方から「それなら差しつかえない」旨の回答を得たものと認めるのが相当である。そして、市選管との問答は右の程度に止まつたものであつて、被告人白木において、後援会のパンフレット配付や現金支給に関連する諸情況、とりわけ、重宗後援会が役員こそ選任されたもののこれから設立総会を準備する段階であること、パンフレットとは趣意書と入会申込書であるが、これを配付して会員の募集を依頼する相手方は、不特定かつ多数の選挙人であつて、主体的に重宗を支持している特定の少数者に限定されず、他面、労務者を雇うわけでもないこと、募集対象として予定されている選挙人も不特定でかなり多数に及ぶこと、労務賃の支給は先払いであり、使途の指定や精算等を行う子定はないことなどの諸情況を市選管に説明して照会したものではなかつたのである。

(ハ)重宗後援会役員会における被告人白木の報告内容は、前示(4)のとおりで、「選管では労務賃は一人一日につき三阡円まで支給できる旨言つている。」旨の簡単なものであつたと認められ、被告人坂井らが同白木と市選管との問答の具体的内容等に関して質問をした事実は認められない。

(ニ)そこで、右の事実関係において、被告人らに自己の所為についての違法性の認識がなかつたかどうか、なかつたとしても、そのことに相当の理由があつたかどうかを検討するに、被告人坂井及び同白木は、重宗後援会の中心人物として行動し、八月中旬ころの役員会における話し合いにも参加していたものであつて、すでに説示したとおり、大量の後援会趣意書等を配付することが必要な理由、その方法として趣意書等の配付依頼に際して現金を支給することの意味、右現金の性質など、自己らの本件所為の実態についての事実認識は十分にあつたものと認められ、役員会でも、このような所為、とくに現金を支給することは買収の選挙違反になるのではないか、と指摘されていた位であるから、被告人両名においてもかかる疑念を抱いていたものと認めるのが相当である。しかも、被告人白木は、自ら直接市選管に照会し回答を得たものであるから、この照会では同被告人らが予定している趣意書等配付、現金支給の実情を市選管に正しく伝えておらず、本来解明されるべき疑問点を的確に指摘していないこと、それ故、これに対する回答も右実情を把握したうえでなされたものではないことをよく知つていたのであり、同被告人から説明を受けたにすぎない被告人坂井においても、右照会と回答の実態を容易に知りうる情況にあつたものである。更に、本件回答が文書によるものでなく、電話による照会に対する即答という粗略な内容のものであつたことも軽視できない点であつて、これら諸般の事情を参酌すれば、被告人坂井、同白木らが市選管の右回答によつて前記疑念を払拭し、自己らの本件所為を適法なものと確信していたかどうかは疑わしく、確信していたものとしても、そのことにはかなりの落度が存するのであつて、適法と信じたことあるいは違法性の認識を欠いたことに相当な理由があつたとは到底認められない。丸茂、福永両弁護人は、現代社会において、電話は文書に優るとも劣らない重要な意思伝達の手段であつて、電話による照会、回答であることをもつて被告人白木らに落度があつたとはいえない、と主張するけれども、電話が簡便、迅速等の点で優れた伝達手段である反面、確実性や記録性において文書に劣ることは明らかであり、殊に、公務所が外部からの照会に対して責任ある回答をするときには、特に緊急を要する場合を除き、文書によるのが通例であつて(それ故、回答を求める側でも文書による照会を行うことになる。)、このことは市役所吏員や市議会議員の経歴を有する被告人白木、同坂井においては熟知していたものと認められ、本件の照会に際して文書によりえない特段の緊急性は認められないから、この点の所論には賛同できない。又、各所論は、本件所為の公然性を指摘し、現金授受に際して領収証を徴したことをもつて、被告人坂井らが自己らの所為の適法性を確信していたことの証左であるというのであるが、たやすく首肯し難く、少なくとも、所論指摘の二点は、被告人坂井らの確信に相当な理由があつたことの根拠とはなりえないものである。右所論も採用できない。

更に、被告人坂井、同白木以外の各被告人の場合について、違法性の認識の点を検討すると、右の各被告人は本件現金支給等を決定した重宗後援会の役員会に出席しておらず、のちに、被告人白木らから直接又は間接に、後援会趣意書等の配付等を依頼され、若しくは他の者に右依頼をなすべく頼まれて、これを引受け、その際「選管が認めている労務賃だから選挙違反にはならない。」旨の説明を受けるなどして、自己のものあるいは他の者に渡すべきものとして現金を受取り、更に、他の者に右趣旨の説明をするなどして現金を渡したものであつて、関係証拠に現われる如く、多くの者が右の説明にも拘らず選挙違反になるのではないかとの疑念を残していた情況であること等に徴すれば、疑念を抱かなかつた者や右説明によつて疑念を払拭した者についても、違法性の認識を欠いたことに相当な理由があつたものとまでは認められないものというほかない。

なお、福永、関元両弁護人は、各被告人の経歴や人柄を縷々説明して、このような経歴や人柄に照らせば、被告人らが本件所為を違法と知りながら実行することは考えられず、右所為の適法性を確信していたことは明らかである、と主張する。しかし、本件は被告人らが行為の違法性を十分に認識したうえでこれを敢行したという場合ではなく、むしろ、叙上のように、違法性の認識に欠ける点があり(少なくともその疑いが存し)、自己の行為を適法と考えたが、そのことに相当な理由があつたとはいえない場合である。そして、被告人らの経歴や人柄等が所論指摘のとおりであるとしても、そのことは必ずしも違法性の認識の欠如に相当な理由があつたことの有力な証左とはならないから、この点の所論にはたやすく左袒できない。更に、福永弁護人の所論の中には、本件起訴の不公平を非難する部分もあるが、記録を調査し、当審における事実取調べの結果を加えて検討しても、各被告人に対する公訴提起の効力を左右するような不公平は見当らず、その他訴訟手続上の違法又は不当も発見できないから、この点の所論も採ることを得ない。

そうしてみると、被告人坂井らに対して事前運動及び現金供与の事実を認定し、同松井らに対して受供与の事実を認定して、公職選挙法二三九条一号、一二九条違反及び同法二二一条一項一号あるいは同条項四号違反の罪の成立を認めた原判決には所論のような事実の誤認とこれに基づく法令適用の誤りは存在せず、各論旨はいずれも理由がない。

ところで、原判決は、その理由中罪となるべき事実の第二の六として、「被告人田中正彦は昭和五一年九月下旬ごろ、二回にわたり、岩国市牛野谷町一丁目二番三号被告人竹中薫方において、同被告人より前同趣旨のもとに現金合計金六千円の供与を受けたもの」と判示している。しかし、この二回にわたる受供与の犯行は併合罪の関係にあるのであるから、各犯行における受供与の現金額は他と区別できる程度に特定して明示されなければならないのであつて、この特定が全くなされていない原判決の右事実摘示には刑事訴訟法三七八条四号の理由不備があるものといわなければならない。したがつて、原判決中被告人田中正彦に関する部分は破棄を免れない。<中略>

三検察官の控訴趣旨(量刑不当の主張―被告人坂井及び同白木関係)について

論旨は、要するに、被告人坂井及び同白木をそれぞれ罰金百万円に処した原判決の量刑は、犯情に照らし軽きに失し不当であるというにある。

そこで、記録を調査し当審における事実取調べの結果をも加えて検討するに、本件は、重宗昌幸後援会会長の被告人坂井と同会事務長(会計責任者)の被告人白木が、昭和五一年一二月五日施行の衆議院議員総選挙に際し、右重宗昌幸に当選を得させる目的で、ほか数名と共謀のうえ、後援会活動の名目の下に、原判示のとおり、未だ立候補の届出前である同年九月一日から同年一一月一〇日ころまでの間、岩国市内の後援会事務所などにおいて、選挙人合計九四名(延人員)に対し、重宗昌幸のための投票並びに投票とりまとめ等の選挙運動を依頼し、その報酬として現金二阡円ないし六阡円(合計二九万三阡円)を供与した、という事案である。右に見るように、犯行は、事前運動を伴つた、組織的、計画的で大規模な現金買収であつて、民主主義の基幹たる選挙の公正を著しく損うものであることはいうまでもなく、積極的に犯行を計画し、主導的役割をはたした被告人両名の刑責は極めて重大であるといわなければならないこと等にかんがみると、被告人両名の違法性の認識の点において通例の買収事犯とは異なるものがあること、被告人両名に前科がないこと、その他被告人両名の年齢、経歴、家庭事情等を十分に考慮してみても、所定刑のうち罰金刑を選択して被告人両名をそれぞれ罰金百万円に処した原判決の刑の量定は、罰金刑を選択した点において著しく軽きに失し、不当であるといわなければならない。論旨は理由がある。<以下、省略>

(干場義秋 荒木恒平 堀内信明)

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